Как и что едят русские

Нина Петрищева

ロシア人の食生活

ニーナ  ペトリシェヴァ  

2009 726

日本ユーラシア協会愛知県連合会

2009ロシア語特別講座

ロシア人の食生活

私の知人で長年ロシア関連の仕事をしている中年の男性が ある時頭をひねりながら私に尋ねました:「たいていの若いロシア人女性はスタイルがよくて痩せているのに、どうして熟年女性やおばあちゃんたちはほとんどみんなふとっているのだろうね?」 私は今まで一度もそんな法則性があるということは思ってもみませんでしたし正直なところなんと答えてよいやらわかりませんでした。その知人の意見はこうでした:「ロシア人はたくさんパンを食べるからじゃないかな?」私にはそんな単純なことではないように思われました。

まず第一に、ロシア人女性「全員」がふとっているわけではありません。第二にロシア人はパンだけを食べているわけでもありません。第三にアメリカではファーストフード店が提供するハイカロリー食品のせいでに肥満の問題はもっと深刻です。ロシアでは、例えば日本に比べて、ガリガリにやせた女の子が少ないのは確かですが、昔から我が国ではいくらか太り気味であることは健康の象徴でした。ロシアの村では頬っぺたの赤い、胸の豊かな娘(むっちりしたグラマーなタイプ)の方が痩せた娘より嫁にと望まれたものです。これも食習慣との関連があるのでしょう。


それではロシア人が昔から現代まで何を、何時、なぜ、食べてきたかを考えてみましょう。一番古い情報源となるのはたぶんロシアの民話でしょう。ご存じのとおり、民話にはそれを作った民族の文化や世界観がそのままに表現されているからです。ご自分の子ども時代と子供のころに聞いたお話を思い出してみてください。お話の結末はどうなっていたでしょうか?私は子どもの頃ロシア語に訳された日本の民話集を持っていました。

覚えている限りでは、それぞれ様々に違った結末になっていました。でもロシアの民話ではたいていのお話は「盛大な宴会が開かれました。そこにはありとあらゆる御馳走がありました。私もそこにいて蜂蜜酒を飲んだのですが、それは口髭の上を流れて口には入りませんでした。」という風に終わります。最後の一節はもちろん冗談ですが、大半のお話は大宴会で終わるのです。さらに民話の主人公はお話の途中で様々な人たちと出会うのですが彼らが主人公に問題を出し始めると主人公は「必ず」こんな風に答えるのです。「まず俺にしっかり飲ませろ、たっぷり食わせろ、蒸し風呂を用意しろ、問題を出すのはそれからだ。」ロシアの蒸し風呂についてはまた別の機会にお話しましょう。この「何よりもまず食べ物だ」というところに特徴がありますよね?さらに詳しく見ると、ほとんどすべてのおとぎ話の中では主人公が魔法の道具をみつけたりもらったりするのですが、その中に「魔法のテーブルクロス」があります。これは一見普通のたたんだテーブルクロスなんです。でもそのクロスをテーブルの上か地面に広げると魔法で様々な御馳走が出てきます。パイも魚も肉もクリーチ、プリャンニキ、スーシキなど色々な種類のパンも。そしてどんなにたくさん食べてもいつも全員に充分ゆきわたるだけの量がありました。全員が食べ終えたら汚れた食器ごとテーブルクロスをたたんでしまうだけですべては次回まで消えてしまいます。クロスをまた広げれば、また大宴会ができるのです。そして食器も洗わなくてよいのです。

 諺や慣用句は様々な現象に対する(今回は食べ物に対する)ある民族の関わり方を考えるに適したもうひとつの重要な情報源です。食べ物に関する諺や慣用句はロシアにはとてもたくさんあります。いくつか例をあげてみましょう。

「パンはなによりも重要だ」、「カーシャ(おかゆ)にバターはいくら入れても入れ過ぎではない」、「良き妻とこってりしたシー(キャベツのスープ)があればそれ以上のよいことを探すな」、「家は家具で飾るよりもおいしいパイによってすばらしくなる」、「みんなで食べれば食べ物はもっとおいしい」など無数にあります。

ご覧のようにロシアの民間伝承では食べ物や食べ物の食べ方に大きな注意が払われていることがわかります。私は、これはロシア人が昔からなにをどんな風に食べるかを真剣に考えていたことの証拠だと思います。いったい昔のロシアではなにを食べていたのでしょう?

この質問に答える前に次の二点を指摘しておきたいと思います。第一に他の国々と同様庶民と支配者層との間では食べ物も違っていたということです。第二にある食品が正確に何年から何年まで好んで食べられたかをはっきりさせることは不可能だということです。「昔は」という言葉自体「現代以前では」という意味しかありません。

という訳で 上記の諺から見たところでは庶民の食卓でも、上流階級の食卓でも最も主要な食べ物はパンだったようです。でも私たちが食べているような小麦で作った白いパンはぜいたく品でした。庶民はライ麦から作った黒パンを食べたのです。最近の研究では玄米同様黒パンの方が白いパンより体によいことが確認されています。昔は現代の食事に比べてはるかに多くの植物性の食品を食べていました。たとえば様々なカーシャ(そば、カラス麦、キビ)、それに食卓にはいつも野菜料理がありましたし、果物もよく食べました。カーシャというのは、ご存じのように穀物を水で煮たものです。普通カーシャは甘くありません。日本のご飯とも違います。日本のご飯は粒と粒がくっついていますが、正統派のカーシャはサラサラで塩味です。カーシャが煮えたらそこにバターを加えます。どれくらいの量を?諺にある通り、多ければ多いほどよいのです。

昔のロシアでは高貴な人たちや金持ちはしょっちゅう牛肉や豚肉の料理を楽しんでいました。庶民も鶏やアヒル、森にたくさんいた野鳥や野生の小動物などを食べました。川では魚やザリガニを捕りました。これは子供たちの仕事でした。森と同様に川にはたくさんの生き物がいましたから。中庭ではよく雌牛や鶏やアヒルなどが飼われていました。つまり食卓には牛乳やバターやスメタナ(サワークリーム)や卵があったということです。森からは様々な食べ物を得ることができました。特に秋には。きのこ、ベリー類、くるみなどは貯蔵できるように加工され何年も食べられることもありました。

飲み物としては村ではクワスが好まれました。これはイーストと砂糖を使ってパンを十分に発酵させて作る液体です。様々なクワスがあり、無数の作り方があります。アルコール飲料としてワインや蜂蜜を飲むことができたのは非常に裕福な人たちだけでした。その他の人たちはブラーガ(自家製のビール)を飲みました。古代のスラブ人たちは大麦の麦芽とホップと蜂蜜と砂糖からブラーガを作りました。これはアルコール度数の低い(3−5度)飲み物でした。この“蜂蜜”というのは(先ほどのおとぎ話の話し手の口の中に入らなかったものですが)私たちにお馴染みの粘り気のある甘い食品ではなくて、蜂蜜を原料として作られたアルコール度の低い飲み物です。この飲み物は蜂蜜とベリー類のしぼり汁を2対1の割合で混ぜたものです。(水は加えずに)これが充分に発酵するまで待って、何度も漉しながら容器を換え、小さな樽に入れて15年から40年も地面に埋めておいたものです!おいしかったでしょうね。

現代のロシア人はジャガイモなしの生活は考えられません。ジャガイモ料理には100種類もの様々なレシピがあると言われています。しかしジャガイモが我が国に伝わったのはまだそれほど昔のことではなく、いたるところで栽培されるようになるには1765年に元老院が特別令を出さなければなりませんでした。一番最初の頃はジャガイモはロシアでは装飾用に使われたのです。貴族たちはジャガイモの花で服や髪を飾りました。政府がこの作物を食用に使うことを命じた時には多くの食中毒が起こりました。人々はジャガイモのことをよく知らなかったのでジャガイモの球根ではなく「実」を食べてしまったのでした。しかしそんな茨の道が最終的にはジャガイモを不滅の栄光へと導いたのです。今ではジャガイモはロシアでは付け合わせとして欠かせないものになりました。ロシアは2005年にはジャガイモ栽培で世界第二位となりました。(第一位は中国でした。)

革命前のロシアの食文化についてお話するなら「精進」という重要なことについて触れないわけにはいきません。精進とは肉体の楽しみを節制すること―食べものや肉慾の楽しみや羽目を外した宴会などを制限するということです。肉を食べず節制することは神様に小さな捧げものをするというような意味があります。また精進にはもっと現実的な意味もあります。教会の神父さんたちは次のように述べています。「肉や牛乳や卵を使った昼食にいくらかかるか数えてごらんなさい。それから肉を食べなければ昼食がいくらで済むか数えてごらんなさい。そしてその差額を貧しい人に施しなさい。」

ロシア正教会では一年を通して毎週水曜日と金曜日が精進の日です。さらに一週間から5週間にわたって食事を制限しなければならない日があります。一番長い精進期は7週間続く大斎期です。精進日には教会は肉だけではなく乳製品や卵を食べることも禁じます。さらに植物油で料理することを禁じられる日もあります。ただ、時には魚を食べることは許されます。すると食べてもよいものはいったいなんでしょう? 野菜、フルーツ、ベリー類、くるみ、穀物です。特に精進の時にも食べられるきのこや蜂蜜についてはお話しないわけにはいきません。

私自身、学校できのこが植物ではないと知った時はびっくりしました。多くの学者たちがきのこを植物や動物と並ぶ別種の生物として区別しています。きのこにはどんな植物よりも多くのタンパク質があります。(つまり精進期に動物性タンパクを取らなくてもプロテイン不足はきのこで補えるわけです。)また別の面から見ると炭水化物やミネラルの構成ではきのこは動物よりも野菜やフルーツに近いのです。きのこには人間の体が動物性脂肪と同じように吸収できる脂肪もあります。貴重な微量元素も多く含んでいます。ロシア料理ではきのこは炒めたり、干したり(後で煮るのですが)、塩漬けやマリネにしたりします。食べ物として価値は肉料理以上のものもあります。そういう訳で肉食を禁じられる精進期にはきのこは体調を維持するのにとても役に立つのです。

 その他に食べることを許されているものに蜂蜜があります。食べておいしいだけではなく非常の多くの体によい物質が含まれています。蜂蜜には人体がたやすく吸収できる特殊な糖とビタミンとミネラルがあるのです。また現代の学者たちは人間の血含まれている24種類の微量元素のうちの22(!)種類が蜂蜜にあると述べています。

このように動物性の食品を精進期に避けることは信者たちの命や健康を脅かすものではありません。ただ病人や小さい子どもたちには精進期にも例外が認められています。聖職者は彼らに油や牛乳や卵を食べることを許可することができました。タコやイカやカキが精進期に食べてよいものとされているのはおもしろいですね。でも革命前のロシアでそういう食べ物を自宅の食卓にのせることができたのは皇帝か、その側近、または非常に裕福な商人や工場主たちだけでした。

ソ連時代は食べ物の状況は大変偏っていました。革命直後の沿ボルガ地方や30年代のウクライナでの恐ろしい飢餓の時期のことは今ではよく知られています。戦後も長い間食品やパンの配給券がありました。配給券は家族全員の分が一か月単位で支給され、その券と交換でなければ食品もパンも買えませんでした。配給券をなくしたり盗まれたりしたら再発行はしてもらえませんでした。そんなことになったらその家族は文字どおり餓死の恐怖にさらされたことでしょう。1960−70年代はいくらか状況はましになったのですが、1980年代あたりから地域による商品不足が始まりました。つまりあるところではソーセージが、またあるところではコンデンスミルクがない、というわけで一時期ウクライナではまるで戦後の時代のように砂糖は配給券がなければ売ってもらえませんでした。でももちろん、状況は20−30年代に比べればずっとましでした。自分自身が体験したことですから普通の中流家庭ではどんなものを食べていたかお話しすることができます。もちろんまず野菜とジャガイモです。ちなみに町の住民でもこれらは家庭菜園で作っていました。

ソ連時代、市民はだれでも600平方メートルの土地を買うことが許されていました(より正確に言えば国家から借りていたのですが)。この土地に仕事が休みの日には市民たちはジャガイモ、トマト、キュウリ、ビーツ、ズッキーニ、なす、ラディッシュ、パセリ、玉ねぎ、などの野菜を自家用に栽培していたのです。こういう土地は町からやや遠いところにあることが多かったので土曜日から日曜日にかけて泊ることができるように、そこには夏用の小さな小屋が建てられました。この小屋は「ダーチャ」と呼ばれるようになり、これは外来語として英語にも定着しています。でも、意味するところが変わってしまっています。英語で「ダーチャ」は、「ロシアの都市生活者が田舎に所有する大きな家」ということになってしまっています。しかし、大半のロシア人にとっては今でも「ダーチャ」とはなによりもまず一週間の仕事の後で働かなければならない畑のことです。両親が田舎の出身で、自分も子どもの頃から畑仕事を知っているならよいのですが、私の父も母もそれぞれの両親が町の人でした。ですから両親がダーチャを買った時には一年目に母はキュウリとトマトの種をまき、「 すべて」の種のわきに一本一本細い棒を突き刺しました。母はあとで草取りをしなければならないことを知っていたのですがトマトの芽と雑草とを見分けることができないのでこの棒のそばに生えてきたものは抜かないようにしたのでした。

今日の本題から少し脱線してしまいました。というわけでうちの食卓には自家製の野菜とジャガイモ、そして店で買ったカーシャやマカロニがあり、週に2−3回、そして祝日にはソーセージや肉や魚が出ました。スパゲッティはソ連時代にはめったに見かけないものでした。そのかわりバーミセリ(5センチくらいの長さしかないごく短いスパゲッティ)はあり、それにトマトソースやサワークリームをかけて食べていました。肉料理でよく食べたのはカツレツですが、それは日本のカツレツとは全然違い、日本のハンバーグのようなものです。これにも塩味をつけたサワークリームをかけて食べました。とてもおいしいですよ、おすすめです!日本のカツレツに似ているのはロシアの「アトビヴニィエ」でしょう。

ソ連では、ほとんどの家庭が共働きだったのでウィークデイには凝った料理をする時間はありませんでした。スープは大鍋で作り、最低3日間は食べられるようにしていました。メインディッシュにはよく半加工品が使われました。今では冷凍食品と言われるものですね。ソ連では冷凍カツレツ、冷凍ペリメニ、あらゆる種類のミートボールやロールキャベツがありました。そのかわり休日や祝日には主婦は「精いっぱい頑張り」、調理に時間がかかる料理をしました。

たとえば休日にはよく新鮮な肉を使ったカツレツを作りました。作り方? まず肉のかたまりを買ってきて一口大に切ります。それから手動式のグラインダー(肉を挽く道具)でその肉を挽き、さらに刻んだ玉ねぎと2−3片のニンニクも挽きます。それに新鮮なパンを牛乳に浸したものを加えてよく混ぜます。前もってパンを乾燥させたもの(スハリ)を作っておき、これをおろし金でおろすと「揚げもの用のスハリ」つまり「パン粉」のできあがりです。カツレツの形を整えてスハリをまぶして焼き、ケチャップかスメタナをかけて食べました。

祝日には、特に冬には、ハラジェッツを作りました。肉を煮たブイヨンから作るジェリーよせです。蹄のついた豚の足を買い、洗ってから火であぶって毛を焼きます。よく洗ってから玉ねぎとニンニクを加えて5−7時間( !)煮ます。これとは別に人参をゆでてきれいな形に切っておきます。肉とやわらかく煮崩れた筋は骨から外して人参とパセリを添えて深いお皿にきれいに並べます。豚の足を煮たブイヨンの中にはゼラチンが溶けだしていますから、これを先ほどの肉と人参を並べた皿に注いでバルコニーに2−3時間出しておきます(皿の数が多いので全部を冷蔵庫に入れることはできません)。ロシアの国土の大半では冬は大変寒いのでバルコニーに出せばハラジェッツはすぐに固まります!

祝日にはお母さんたちは手製のケーキやパイを焼きました。先ほどの自家製のカツレツ同様、その準備はまたゼロから始めるのです。つまり生地から。生地は混ぜ合わせたりこねたりされ、それがイーストを使うもものなら、まず発酵を待ちました。ケーキ生地はガスオーヴンで焼かれ、クリームは混ぜ合わされました。70−80年代は電動泡だて器のある家庭は少なく、クリームは泡だて器を使って手で泡立てたということを言っておかなければなりません。ケーキにはクリームが塗られ、切りこみが入れられて、フルーツやくるみできれいに飾られました。

お分かりのように食べ物の支度にこんなに時間をかけられるのは時間がある時だけです。平日は5−6時に帰宅し、掃除、洗濯、アイロンがけをして、子供たちの勉強も見てやり、夕食作り、皿洗い、明日の準備もしなければならない働くお母さんはどうしたらよいのでしょう?なにか手早くできるものを多量に作っておいてせめて2日間でもそれで食べられるようにするのです。それでは典型的なメニューをご紹介しましょう。ここで予めお断りしておきますがソ連でも現在のロシアでも食事の採り方は英語圏の国とは一致しません。ロシアでは「ランチ」という概念がありませんでした(この言葉は今では広く使われるようになってきました)。朝に朝食を食べ、2−3時頃に昼食、夜に夕食です。

 朝食にはふたつのバリエーションがあります。ます前日の夕食の残りを食べてしまうというもの。たとえばマッシュポテト、魚のソテー、パン、紅茶かコーヒー。お母さんたちもお父さんたちといっしょに8時〜9時前に出勤しますからだれも朝から料理なんかしません。前日の夕食の残りを食べるだけです。二つ目のバリエーションはサンドウィッチに紅茶かコーヒーです。サンドウィッチの中味はなんでもよいのです。ただバターを塗っただけでもよいですし、ソーセージ(特に長くて太いピンク色のソーセージ)、またはチーズなども。子どもたちは朝食にはよく牛乳を飲みました。

働いている人や学生は職場や学校(大学)で昼食を食べます。ソ連時代は昼食を食べるのに二つの方法がありました。第一に例のいつものサンドウィッチです。時にはソーセージやチーズの代わりに前日のカツレツやアトビヴニィエ(日本のカツレツに似ているもの)がパンに挟まれることもありました。大人たちの中にはサラダの入った瓶を持って行くこともありました。当時はお弁当用のプラスチック容器などはありませんでしたから、家からの持ち運びが楽な容器を持って行くようにしていたのでした。紅茶やコーヒーは職場で沸かしました。子どもたちは水道の蛇口から水を飲みました。職場での昼食のもう一つの方法は食堂で食べることです。多くの組織やすべての学校には食堂がありました。残念ながら大半の食堂では食事はまずかったのです。でも第一に熱々の料理が食べられますし(当時は電子レンジはありませんでした。)第二に家からなにも持って来なくてよいのです。さらに夏には食堂で食べる方が安全です。家から持ってきたものは暑さのために悪くなってしまうかもしれないからです。

 夕方になると家族全員が集まって夕食です。夕食には普通は2−3品の料理が出ました。

最初にスープかボルシチ。ご存じのようにロシアのスープはたとえば日本のコーンスープのようなポタージュではありません。「ミネストローネ」に近いものです。スープ類は肉をベースに作られます。(たまには魚や缶詰も)肉を煮て、あくを取り、ローリエの葉と小さく刻んだジャガイモを加えます。その後、スープの種類によりバーミセリか、そばの実か、米か、野菜を加えます。これとは別にフライパンで小さく刻んだ玉ねぎと人参を炒めます。できあがり際にこれをスープに入れて5分煮れば出来上がりです。普通はスープにパンを添えて食べます。そこで2番目の料理の番です。料理の呼び方にご注目ください。スープは最初に食べるので「ピエルボエ」(最初の料理)と言い、肉や魚料理に付け合わせを添えたものは2番目に食べるので「フタローエ」(2番目の料理)と呼ばれるのです。フタローエは普通は熱い肉か魚の料理に付け合わせを添えたものです。肉料理で最もよく食べられるのは多分、アトビヴニィエ、カツレツ、チキンソテー、そしてビーフストロガノフでしょう。魚はシンプルにオイルで炒めるか 時々は小麦粉や卵で作った衣をつけてフライパンに多めの油を入れて焼きます。付け合わせはカーシャかバーミセリか炒めるか茹でるかしたジャガイモです。夏には新鮮な野菜サラダ、ナタウリの実やナスをニンニクを加えて炒めたものなども付け合わせにします。冬は様々なピクルスーきゅうり、トマト、ナタウリの実なども。スイカのピクルスを作れる人もいます。食後にはロシアではよく紅茶を飲みます。もし時間とやる気があれば主婦はお茶に添えるブリヌィ(クレープ)やアラージィを作ります。(アラージィとは手のひらほどの大きさの分厚くて甘いホットケーキのようなものです。)もしこういうものがなければキャンディやクッキーを買います。クッキーに自家製のジャムをのせたのはとてもおいしいものです。「自家製」と言うのは私の知るかぎり当時ジャムを買う人はほとんどいなかったからです。基本的にジャムは自分で煮るものでした。

 幼稚園や小さい子どもたちがいる家庭ではおやつがありました。これは甘い菓子パンやカッテージチーズに牛乳で午後3−4時に与えられました。

 皆さんはたぶんこれまでにカフェやレストランの話が出てこなかったことにお気づきでしょう。ソ連時代にはレストランやカフェは数が少なく、そのようなところへ行くことは(特にレストランへは)めったにありませんでした。今では事情は異なっています。ロシアのすべての大都市 ( 大都市とまでいかなくても )の通りには外国の名称が、たとえばマクドナルドとかピッツェリアとかヤキトリヤという名称が目に付きます。以前には通りでは屋台でピロシキとかベェリャーシ (タタールのピロシキ )が売られていましたが、今ではホットドックです。ところで、今、ロシアでは正に日本料理ブームです。モスクワやサンクトペテルブルグでは、文字どおり一歩あるくごとに「ヤキトリ」、「ヤキニク」、「スシバー」という文字に出会います。シェレメーチェヴォ空港では、ブュッフェにおいてさえプラスチックのケースに入った「スシ」が売られていました。本当のところ、そのケースの中の魚は生ではなくて、マリネ漬けです。最も近い海からのモスクワの遠さを考慮に入れれば、そのことは良いことでさえあるのです。

 純粋のロシア版ファーストフードがたくさん現れました。たとえば、ピーテル(サンクトペテルブルグのこと)では色々の種類のブリヌィ(クレープ)やピロシキを売っているキオスクがたくさんあります。スメタナの入った単純なブリヌィがありますし、肉あるいは茸の入ったのもあります。ピロシキもまた色々あります。肉入りや茸入り、チーズや卵の入ったもの、キャベツ入りやジャガイモ入り ;あるいは、スゥィーツは、さくらんぼ入り、すもも入り、りんご入り、カッテージチーズ入り・・などです。ところで、皆さんの中でロシアへ行ったことのある人は、たぶん、本当のロシアのピロシキはオーブンで焼いたものであるということを知っています。一方、フライパンで揚げられたものについては、「揚げピロシキ」と言われています。つまり、普通ピロシキと言ったらオーブンで焼いたものことで、油で揚げたものなら「油で揚げたピロシキ」と言う必要があるのです。私が日本に来て「ピロシキ」というものが売られているのを見た時は(それは中にコーンを入れた小麦粉の生地で作ったお団子を油で揚げたものでした)それがなんとロシアのピロシキをイメージしたものだなんて思いもしませんでした。半年たって、私はこれがロシアの伝統料理の「ピロシキ」だと思われているらしいことに、ようやく気がついたのです。だから、皆さん、私は、皆さんにロシアでは日本料理レストランへ行くことを薦めません。皆さんがカルチャーショックを味わうのを恐れるからです。さて、話をロシア料理店に戻して、「ヨールキ・パルキ」というレストランのチェーン店について話しましょう。滑稽な名前です。この慣用句はロシア語では、いまいましさ、あるいは (どういうイントネーションをもつて発音するかによるのだが )歓喜を表現しています。しかし、そこは、値段は高めですが料理はおいしいです。私はこのレストランでスメタナ付きのペリメニと茸入りのピロシキを食べてみました。

 魅力的なロシア料理店がたくさんできたので働くロシア人の大半は家からサンドイッチを持参しなくなりました。しかし、いくらかの旧世代の人たちは伝統の信奉者のままですし、職場へサンドイッチを持っていきます。

 もし皆さんが今日のお話の始まりのところを覚えていらっしゃるなら、私は食についての諺の中で、「みんなで食べれば食べ物はもっとおいしい」という諺に触れました。その諺はロシア人の会食に対する考え方を正確に伝えています。私たちは仲間と集まり、「食べ、飲み、会話をする」ということが、大変好きです。一緒に勉強したり、働く人々はふつう一緒に食事をします。学校と大学では、サンドイッチは分け合って食べます。職場では昼の休憩時間にテーブルを動かして一つにして、その上に各自、家から持ってきたものを並べます。そして、めいめいが気に入ったものをすこしずつ取ります。これが自分のものか、他人のものかは重要ではありません。

同僚の誕生日だけではなくその家族の誕生日も職場全員でお祝します。会食の時は昼休みの時か仕事がはねてからです。違いは、どれだけのアルコールが飲まれるかということにあります。昼休みの時はワインあるいはシャンパン一杯ずつです。仕事が終わってからは、それぞれ好きなだけです。お祝いの「原因となる人」とその家族全員は前もって準備します。スーパーマーケットあるいはバザール(市場)で食料品を調達します。必須の食料品は野菜とナレースカ (チーズ、ハム、燻製魚のマリネなどの薄切りの盛り合わせ )です。夕方、宴席の前に、暖かいもの・・カツレツまたはハンバーグ、焼き魚または魚のフライが準備されます。付け合せには、通常、じゃがいもが用いられます。スープは、もちろん、そういう場合祝いのテーブルの上にはありません。料理と食べ物の選択に注目してください。皆さんはどう思いますか。たとえば、まさに何故じゃがいもであってスパゲッティでないのか。何故カツレツであって、ソースのかかった肉でないのか。何故スープがないのか。多分、皆さんは正しく推察できたことと思います。つまり、祝いの日にすべてこれらの物を職場まで運ばなければなりません。汁気の多い料理を運ぶのは大変です。以前は自動車をすべての人が持っていたわけではありません。家族全員が食べ物を運ぶのを手伝いました。そのほかに、祝い日のメニューに入っているものすべては冷たいままで食べることができます。10年ぐらい前でさえロシアには電子レンジはありませんでした。つまりオフィスには食べ物を温める (いわんやスパゲッティをゆでる )場所はなかったのです。会食の始まる前に集まった人のうちある人は食卓の用意をし、またある人はその場でサラダとナレースカを切ります。すべての準備が整うと祝いの日が始まるのです。

 日本においても同じように、祝宴は最初の乾杯のトーストから始まります。自分の経験によって、私はこの「トースト」という言葉はロシア語を勉強している外国人にとって大変難しいということを知っています。これは日本語の「乾杯」あるいは英語の「チェアース」とも違います。日本語では、これはむしろ「乾杯の音頭」なのです。単に「トースト」とだけ言う事はできません。トースト・・・これはチョッとした演説 (時にはチョッとしたものではない )であり、そこにおいては必ず、何のために飲むのかが語られます。もし会食のための理由が誕生日なら、最初のトーストでその日の当事者に健康と幸福が願われ、彼がどんなにすばらしい人間であるかが語られます。トーストを聞き終わると皆は必ずコップをカチンと合わせ、つまり、彼らのコップが必ず触れ合うように、リュムカ(小さなグラス)や盃を動かすのです。「グラスを触れ合わせてカチンと音を立てる」習慣はたいへん昔からのものです。それは、飲み物には毒は入っていないということを示すために、何百年も前に現れたものでした。古代において、宴の席でホスト役の主人はお客の盃に毒を入れ、あるいは毒物を飲ませてそのお客を毒殺することができました。グラスを動かせば(とても勢いよく動かすので)たいていは少量の液体がもう一方のグラスに飛び跳ねて入ります。主人はこういうふうにして、お客にふるまわれている飲み物を飲みほすのは恐れることはないのだということを示したのでした。

 ところで、皆が乾杯し終わるとすぐにザクースカ(前菜)をつまみ始めます。「ザクースカ」という言葉のもとになっている「ザクシーチ」という動詞は、ウォッカを飲み干した後すぐに食べ物を少し食べるということを意味しています。ザクースカとして、パン、ナレースカ、サラダ・・・口に素早く入れて飲み下すことのできるような物が利用されます。ザクースカをつまみ、そして食べ始めます。お祝いのテーブルの上にはすべての料理が大皿に盛られていて、参会者の一人一人は、気に入ったものを自分の皿に少し取ります。会食の作法は多くの点で集まった人によります。しかし、非常にしばしば女性が男性に食べ物を取り分けます。一方アルコールを注ぐのは いつも男性が女性に、そして男性同士がお互いにです。「アルコールの責任者」はふつう、誰よりも瓶の近くに座っている男性です。彼は誰がワインで誰がウォッカが欲しいかと訊ね、みんなは彼にグラスを渡して注いでもらいます。彼は最後に自分のグラスに自分で酒を注ぐか、一番近くに座っている男性に注いでもらいます。回りの人に訊ねないで自分のだけ注ぐことは、無作法なことと思われています。皆がすこし食べておしゃべりしたとき、希望者は次のトーストを語ります。ふたたびこれは誰かのため、または何かのためのトーストです。私の経験では、普通、二番目のトーストは出席者みんなの両親の健康のためのものでした。

 トーストのテーマはあまりにバリエーションがありすぎて分類するのが難しいほどです。子供のために、友好のために、愛のために、女性のために、仕事の成功のために、家族の経済上の平穏な暮らしのために飲みます。たとえばこんな風に伝説を引用するトーストもあります。《ある時、ペルシャの皇帝がこの世で一番美しい女性に夢中になりました。彼は永い間考えていました。彼女の美しさにふさわしいものを彼女に贈ろうと。やっと、彼は真珠のネックレスを彼女に贈ることを決めました。このネックレスの一つ一つの真珠は完成度において最高のものでした。それらはハシバミぐらいの大きさで申し分のないほどの形と優しい色をしていました。皇帝は、おのおのの真珠に 5キログラムの金を支払い、一方ネックレスの長さはその美人の腰までありました。ところで、皇帝がこの贈り物を自分の恋人に捧げようとしたとき、空から鷲が石のように降りてきて、ネックレスをつかみ空高く飛び去りました。そこでドラゴンが鷲を見つけました。ドラゴンもまたそれ程すばらしい真珠を横どりしたくなり、飛んでいる鷲とつかみ合いになりました。彼らの戦闘の間にネックレスの糸は切れて真珠は地上に飛び散りました。それでは、今日われわれのテーブルについているということが分かった素晴らしい真珠、つまり、我々の最も良い、最も美しい、最も素晴らしい女性のために飲みましょう。》そしてこのようなトーストは会食の終りまで続くのです。毎回トーストの後では皆と盃をカチンと合わせ、そしてたとえ少しでも盃に唇を付けなければなりません。盃をカチンと合わせずに、あるいは、少しも飲まずにリュムカを下に置くことは、周囲の人に対して失敬な行為であるとみなされています。ウォッカを飲むほとんどの男性は、普通毎回トーストの際、リュムカを底まで空にします。それゆえ、もし彼らが早く酔っ払いたくなければ、リュムカにちょっとだけ注ぐように頼みます。皆が席についているときに、トーストをせず一人でウォッカを飲むことは不作法なことと見なされています。ワインならトーストなしで少しずつ飲んでもいいですし、盃を「一気」に飲み干すことは必要ありません。ロシア人に対する一般的なイメージとは違いますが、ロシア人女性でウォッカを飲む人は少なく、ワインの方が好きな人が多くてウォッカは全く飲まない人もあります。

 ところで、祝いの日の話に戻りましょう。

職場で祝われるのは単に誕生日と結婚式の日だけでなく、すべての市民の祝日もです。主なものを挙げてみると、新年、2月23日 (大部分のロシア人が今では男性の日と思っている祖国英雄の日 )、3月8日(国際婦人デー)。多くの家庭は教会の祭日(クリスマス、復活祭など)も祝います。同じ出来事が家庭でも祝われます。家庭での祝いは、祝日の当日か、あるいはこの日の後に来る休みの日に行われます。どれくらいの準備をするか、お客の数は何人かが違うくらいでお祝の仕方は変わりません。家庭のテーブルには、当然、温かい料理が出され、時々スープさえ出されます。誕生日の準備は、本人の家族だけでします。一方、そのほかの祝日の時には招かれた女性みんなが食べ物を持っていきます。ふつう参加者は前もって誰が何を持っていくかを取り決めます。時には、指定された時間の二、三時間前に集まり一緒に準備します。男性の仕事はアルコール、ノンアルコール飲料、そして花を調達することです。私がもう述べましたように、以前はお祝いの日は基本的に家で祝われ、レストランではありませんでした。部屋の一つに(ふつう最も大きな)テーブルが用意され、すべての腰掛けが集められ、もしお客があまり多ければ隣から腰掛けを借りてきます。田舎や別荘地では夏、天気のよい日には直接戸外でテーブルが用意されます。テーブルに着席しての1〜2時間はサラダ、ナレースカ、冷たいザクースカを食べます。冷たいザクースカの中では、オリビエサラダ(生のキュウリやキュウリのピクルス、ソーセージ、茹でたジャガイモと卵、グリーンピースとマヨネーズ)またはアガニョーク(擦っておろした柔らかいチーズ、にんにく、マヨネーズ、・・・・パンに塗って食べる)、蟹サラダ(蟹スティック、ゆで卵、瓶詰めのコーンとマヨネーズ)またはレバーのパイ(レバーは挽肉器で挽いて、小麦粉と卵を混ぜ、パイ生地にはさんでオーブンで焼く)を挙げることができます。そのあと全員でなかよく汚れた食器を台所へ運び、誰かが食器を洗い(必ずしもそこの主婦とは限らない)、残りの人は綺麗になった食器とスプーンセットを部屋へ持って行きます。時としてこのとき隣の部屋でテープレコーダからの音楽によるダンスとギター伴奏での歌が催されます。一時間くらい経つと、全員再び「温かい食べ物」のためにテーブルのところに集まります。主婦ならだれでも得意料理があります。リンゴを詰めて焼いた鵞鳥、肉にチーズ焼き、詰め物をして焼いた魚、魚に衣を付けてフライパンで焼いたものなど。

 皆さんが、祝いのテーブルのセッティングにどれだけの時間と想像力が費消されたかを思い描くことができるために、{りんご詰めの鵞鳥}と{つめものをして焼いた魚}(残念ながら、私はその正確なレシピは知りません)を述べようと思います。調理済みの丸一匹の鵞鳥を買ってきます(または家庭で自分で内臓を抜きます)。小さなりんごを洗い、4−6個に切り、そしてそれらを鳥の胸腔と腹に押し込みます。その上から塩、スパイスを振りかけ、時にはスメタナまたはマヨネーズ塗ります。オーブンの棚にのせて焼き始めます。時々焼き鉄板の上に水を注ぎます。りんごの代わりにプルーンと干しぶどうを用いてもよい。つめものをして焼いた魚用に使われるのは大きな丸ごとの魚(できればカワカマスか鯉)です。それを筒切りにして、その切り身から皮と中骨を残すようにして魚肉を取り出します。取り出した魚肉は挽肉器で米や卵といっしょに細かく刻んでおきます。これを先ほどの切り身の骨と皮の間にきっちり詰めてソースで煮ます。ところで、温かいものを食べた後で全員は再び休息をし、テーブルを片付け、ダンスをし、歌を歌い、そして同時に《スウィーツのテーブル》を用意します。このテーブルに欠かせないものは自家製のケーキとパイ、紅茶とコーヒー、果物とイチゴです。もっともよく作られるパイ「ナポレオン」を作るためには(パイの大きさによって)6枚から12枚のものパイ皮を焼かなくてはなりません。《伯爵の廃墟》というケーキには30−40のメレンゲ菓子を作らなければなりません。こんなに大変な準備を、時間をかけてするわけですが、お客様に心からの称賛を受けたり、おいしい料理を味わったり、友達と語り合ったりする喜びの方がずっと大きいのです。

 皆さんはお分かりのように、このような会食は数時間続き、時としては、お客は泊っていくこともあります。食べ物も多すぎるほど用意するのです。主婦が心がけることは「だれもがたっぷり食べられるように」ということです。みんなたっぷり食べて、 食べきれなかった料理はお客様に持たせることもあります。どちらにせよ、食べ物はたくさん残るのでその後2−3日は料理のことを考えなくて済みます

 祝日に食べる特別料理は実に様々なものがあります。ロシアには日本における《おせち料理》のようなものはほとんどありません。といっても、祝日には、必ず家庭の食卓にのる料理があります。新年にはどの家庭でも《オリビエ》サラダを作り、ほとんどの家庭ではハラジェッツ(煮こごり)を作ります。新年の次にある、特別な料理を作る祝日はマースレニツァです。それは春分の日の数日前から祝われ始め、そのあと数日経ってから終わります。マースレニッツア(謝肉祭)はキリスト以前の古代ルーシの異教徒の時代から守られています。これは冬の休息のあとの自然界の目覚めの祝日です。一方、この目覚めは何をもたらすのでしょうか。そうです、太陽です。ところで、どういう太陽でしょうか。丸くて黄色のです。それゆえに、マースレニッツアには必ずブリヌイ・・・丸くて黄色い太陽のシンボル・・が焼かれるのです。復活祭 のテーブルには、主にクリーチ、パスハそれに彩色が施された卵が飾られます。 クリーチは、甘いパン生地でできた焼き菓子、パスハも甘いお菓子ですが、カッテージチーズで作ります。クリーチもパスハも必ずきれいにかざりつけをします。一方、卵は異教徒の時代からのもので、永遠のシンボルです。最後に、これは世界共通のことでしょうが、誕生日もその日だけの特別の料理のある祝日です。それはバースディケーキです。

 しかし、ロシア人にとって、お客に行って、お茶を飲みながらお喋りするのに特別な理由は要りません。そのような集いはふつう台所で行われます。夕食に一人、二人の人が来ます。彼らは家族と同じものを食べます。これらの訪問の主たる目的は食べ物ではなく、また深夜まで及ぶ交流です。時々、少量のアルコールがそれに伴いますが、これは全く必須品というわけではありません。話されるテーマはまったく様々です。個人生活についてのニュースからグローバルな哲学的な問題まで、隣人や知り合いのゴシップ話から国際情勢と世界経済状態まで。

 シャシリックについてもお話したいと思います。そもそもこれはグルジア料理の名称です。しかし、ロシアの文化においてこれはいろんなバリエーションはあるものの、大イベントとなりました。要するに「自然の中に出かけて炭火で肉を焼く」ということになるでしょうか、日本のバーベキューのようなものですね。このイベントも、他の祝いの日と同じように、前もって準備します。家族だけでシャシリックに行く人はめったにいません。ふつう、仲間たちと相談して、都合のよい日と場所を選びます。出発する前の夜(あるいは、出発までの2、3日前)男たちは肉の下ごしらえをします。それはどんな肉でもよいのです。たとえばマトン、牛肉、鳥。多分、ロシアの非回教徒の住民の間で最も人気のあるのは豚肉でありますが。しかるべき一家の主人ならだれでもシャシリックの肉のつけ汁など自分流の下ごしらえの仕方があります。その中で共通していることは、肉を十分に大きな塊・・5センチメートルずつ・・に切り、一方、たまねぎは大きなリング状に切ることです。さらに胡椒は万能のスパイスです。そこから先は、すべては調理する人によります。ある人は、玉ねぎの添えられた肉にコリアンダーを振り掛けますし、ある人は月桂樹の葉をつけ汁に入れますし、一方、ある人は、妻のところの小箱にあるすべてのスパイスを入れます。肉を酢あるいは赤ワインの中へ、マヨネーズあるいはスメタナの中へ漬け込みます。それを必ず戸外の新鮮な空気の下で、焼きます。今では、このために四本の足のついた鉄製の箱でできた特別のコンロが有ります。その中に市販の炭を入れ、すべてこれを車で運びます。しかし伝統的な{シャシリックハイキング}はいささか別ものです。数台の車で行くのが一番よいのですが、最悪、電車で、子供、犬を連れて数家族が、覆い布、斧、つけ汁に漬けた肉、アルコール、そして必需品の焼肉用金串(これは一方が尖った鉄製の串)を携えて郊外に向かいます。ふつうシャシリックのための場所は、川か湖の岸辺か森です。そこで皆は仲良く最も美しい、便利な場所を探します。女性たちはシートを敷き、野菜を切り休憩します。一方、男たちは聖なる仕事を遂行します。はじめに彼らは周囲で枯れた枝を集め、それらを全力をあげてできる限り小さく小枝に割ります。そして焚き火のための場所をじゃまになるものをとり除けてきれいにします。このために、半径がだいたい1メートルから1.5メートルの円を作り、その中の草を取り去り、火が隣の草に燃え移らないように、斧で溝を掘ります。そのあと焚き火を燃え立たせ、炭をおこします。女性たちはこの間に湖または川から子供たちを引っ張り出し、また木から下ろし、周囲の丘にいる自分たちの犬を捕まえます。そして、カットされたトマトときゅうりを食べ、新しいのを切ります。焚き火が燃えとおしている間に、男たちは(燃え出さないように)生木から 4本の二股を作ります。それらを焚き火の両側から2本ずつ地面に差し込みます。それらの上に二本の金串が置かれ・・・これは他の金串のための支柱となるでしょう。そのあと彼らはつけ汁に漬けられた肉の塊を金串に隙間なく刺します。肉と玉ねぎを交互に刺す人もありますが玉ねぎは焦げてしまうことが多いのです。これらの金串は支柱の上に、燃え盛っている炭に肉ができるだけ近くにあるようにと置かれます。男性が一人だけです。または男性たちが交代で焼くこともあります。一回目の肉は君が、次の回はぼくが・・・という風に。肉を焼く人は、肉が色々な側から焼かれるように、時々金串をひっくり返し、その肉に水あるいは赤ワインを注ぎ、時にはレモンジュースをかけます。忙しそうに肉を焼いている様子を見せびらかすのです。他の男性は、つけ汁につけた肉の残りを自分の犬や他人の犬に食べられないように見張り、女性たちやこどもたちが生焼けの肉を食べないように気をつけます。最初の一人分が出来上がると、おのおのは肉の刺さった金串あるいは肉の載っている皿を受け取ります。肉はそのまま食べたり、ケチャップをかけて食べたりします。私の経験では皿にのせて食べるよりも金串に刺さした肉をそのまま食べた方がずっとおいしいと思います。肉を刺すこと、シャシリックの調理と食べることの儀式は、肉がある間あるいは誰か一人でも食べている間、繰り返されます。みんながもう食べられないほどたっぷり食べて(よその家の犬達さえももうシャシリックを見もしないほどに)、夕方近くにこのイベントは終わります。それから焚き火は丁寧に踏み消され、身の回り品が全部集められ、子供と犬を数えなおし、休息するために帰宅の途につきます。

 ところで、ロシアの食べ物はカロリーが多い、たとえば、肉、ケーキ、マヨネーズ・・・・という事実を否定することはできません。しかし、皆さんがご存知のように、私たちはこれを積極的な肉体の負荷によって、たとえば、部屋から台所へ走っていくこと、家でダンスをすること、あるいは自然の中で起伏の多い場所を駆けることによって、埋め合わせているのです。

 ご静聴ありがとうございます。もし質問があれば、私の知っている範囲と能力の範囲で喜んで答えます。