イヴァノフカ村の村長一行を迎えて
          大垣・横山周導さん
 

 アムール州イヴァノフカ村は、全国抑留者補償協議会会長であった斉藤六郎氏が、日本人抑留者の墓地を探してくれたことで知られることになった村です。
 ところが、この村は1919年日本軍のシベリア出兵の時、パルチザン部隊掃討で悲惨な虐殺を被った村であったため、斉藤会長は大きなショックを受けたのです。その後、会長は度々この村を訪れ、4年かけてウス村長と話し合い「この悲惨な事件も日本人のシベリア抑留も、ともに戦争による悲しい負の遺産であって、今後、戦争の悲惨と愚かしさを反省し、再び戦争を起こさないという願いを込めて、日ロ共同追悼碑を建立し、平和と友好の記念碑とする」ことを決めました。
 1995年7月16日、日本から31名の墓参者がこの村を訪問、村を挙げての盛大な除幕式が、ロシア正教神父と岡崎、横山両僧侶により、2千人余の村民が見守るなかで行われました。
 その後、1997年、99年、2000年と4回墓参する中で、昨年はウス村長から「毎年、日本から墓参に来られ、若い人たちも代わる代わる訪問されて、村民の日本に対する感情が大変良くなりました」と、嬉しい言葉を頂き、歓迎のコンサートが村の夫人たちによって開かれ、大いに感動しました。
 その事があって、同行の四国・松山市の阿倍学氏から「ウス村長を日本へ迎えたい」という相談があり、帰国後、関係者と相談の末、ウス村長、バダボア女史、ヴァシリー副議長を迎えることになりました。
 ウス村長は、ロシア人も日本人も同じ太陽の光を受け、同じ空気を吸う同士なので、平和を大切にして子孫に残すことが私たちの努めだと強調されました。
 また、バダボア女史も、父を独ソ戦で亡くし、日本の遺族の悲しみが分かるので、再び戦争を起こさないよう、平和を大切にしたいと訴えられました。ヴァシリー副議長もアムール州には20カ所の日本人墓地があり、その半数はまだ日本人が墓参していないので是非、墓参してほしいし、平和と友好、特に子供達の交流を希望すると述べられました。
 今回のウス村長一行の歓迎については、村長と村民の関係を心配していましたが、それも、先程村長に再選されたことで解消し、日ロの高い垣根が取り払われていることを感じました。
 墓参を通じて、恒久平和と友好交流、経済交流を深め、シベリア全土に広がる日本人墓地が、平和へのプラス遺産として定着することを念じています。
 また、イヴァノフカ村の「日ロ共同追悼碑」は、ロシア唯一の共同碑であることから、建立の意義を理解して頂き、今後の墓参と碑の維持について方策を立てなければならないことを重く感じています。