ロシア語特別講座講演
「キジー島−
ロシア木造建造物の至宝
    ウラジーミル セマコフさん

ロシアの北部地方は数多くのロシアの歴史的な地域の中でも特別な位置を占めています。現在のカレリア地方、ムルマンスク州、アルハンゲリスク州、ヴォログダ州が北部にあたります。

この地方の歴史は最初に記録に登場したのが862年のロシア最古の都市ノヴゴロドと関連があります。ほとんど無人であったこの地方を10世紀から開拓し始めたのはまさにこのノヴゴロド人たちでした。彼らはまず何よりも毛皮(当時ロシアの主な輸出品でした)、そして海の塩や魚を求めてここに来たのです。13−14世紀にはこの地方はノヴゴロド公国の領土となりました。ここには非常に大きな修道院が作られました。白海のソロヴェツキー修道院、ラドガ湖のヴァラーム修道院、ヴォログダ州にあるキリル・ベロゼルスク修道院です。ヴォログダ、カルゴーポリ、トチマ、ヴェリーキーウスチュグ、アルハンゲリスク、ケミなど町もできました。ロシア北部の歴史と文化の特異性はここに20世紀までの古いロシアの文化 ― 民俗、建築、宗教 ― がどこよりもよく残っていることにあります。どうして古いロシアの文化財が北部にこれほど残ったのでしょう。まずなによりも、この地方には農奴制がなく、北部の農民は国家の土地で国家に小作料を納め税金を払っていて、地主とは無関係だったからでした。それに加えて伝統の継承に大きな役割を果たしたのが古式分派でした。17世紀半ばにロシアの教会には改革がありましたが 北部の農民たちや修道士たちはそれを受け入れませんでした。ロシアの中央から数千人の「古いロシア正教」の支持者たちが逃れてきてカレリアやカルゴーポリの深い森の中に共同体―つまり古い正典に基づいた教会の生活を続ける修道院を築いたのです。また北国の自然の中で生きるには長い年月をかけて作られた非常に厳しい規則を守らざるを得ませんでした。新しい試みは破滅に繋がりかねなかったのです。

北部地方の建築の傑作の中で最もすばらしいのはカレリア地方の首都ペトロザヴォーツクから68キロのオネガ湖にあるキジー島のパゴスト(教会や墓地のある村)の建物群でしょう。キジーはカレリアの木造建築と民俗学の保存地区・博物館であり、同じ名前のキジー島と周りの島々にあります。島の長さは約5.5キロ、幅は1.4キロで南北に延びています。


島の中央部は島の端から端まで長く丘がつらなって小高くなっており、この丘によって島はより広くなだらかな西部と狭い東部とに分かれています。この島は全体として草原で水際近くまで幅の狭い森が続いており、ぬかるみには柳が一面に生えています。広く枝を広げた楡の木が美しく島を飾っています。

 何世紀にもわたる人間の活動がこの島の外観を激変させてしまい、今では島はすっかり開拓され、どこも同じように見えます。オネガ湖では波が高く荒れることもあるのですがこの島の周りはどこも波が穏やかで船の停泊に適しています。春になると岸辺の浅瀬の水は早く暖かくなり氷が溶けます。そのためキジー島はまわりの地区よりも気候がより温暖で暖かいのです。

島の名前はカレリアの言葉「kizat」(儀式としての競技をする場所)と同根のことばです。この地の人々は太古の時代から宗教儀式を行うためにこの島に集まっていたようです。最初に人が住むようになったのはキジー諸島の中のキジー島でした。起伏が少ないなだらかな土地だったためにすぐに開拓され、全島が耕地となりました。16世紀からはスパソ・パゴストの中心地となり、その下には130の村がありました。その時代に島に2つの木造の教会が建てられました。プレオブラジェーニエ・スパソヴォ とポクロフ・スヴャトイ・ボゴロージツィです。

1580年から1581年にかけてスパソ・パゴストはスウェーデン人に襲われ、建物の半分は破壊されてしまいました。17世紀までパゴストは荒廃していましたが、この時期から次第に人口が増え始めました。17世紀の初めにもまだパゴストは度々外国人の侵略者に破壊されていました。1617年のストルボヴォ平和条約によってロシアとスウェーデンの国境はキジー島の近くに定められました。そのため17世紀の中頃にはパゴストの周りに見張り塔のついた高い木造の城壁が建てられました。

18世紀の初めに、老朽化したプレオブラジェンスキー教会(プレオブラジェーニエ・ゴスポドニャ教会)は落雷のために焼けてしまいました。1714年には堅牢な松の木で、釘を使わず、斧と鑿によって、22個のキューポラ(玉ねぎの形のドーム)をいただく素晴らしい教会が建てられました。1764年にはポクロフスキー教会(ポクロフ・ボージェイ・マーチェリ教会)が建設され、現在まで保存されています。

プレオブラジェンスキー教会は壮大で威厳がありますが、同時に驚くほど均整がとれています。その特異な構成、キューポラやボーチカ(カーヴをつけた屋根)などのたくさんの飾り、気ままにまがりくねる曲線、そして天を目指す躍動感がこの教会を豪華に量感豊かに見せているのです。プレオブラジェンスキー教会にはロシアのおとぎ話に出てくる御殿を思わせるところがありますが、素朴で飾り気のない農家の建物に繋がるものも持っています。

基礎に置かれているのは「20枚の壁」です。つまり、定番のヴァシメリク(八角形の建物)に4か所のプリルップ(建て増しの部分)を付けたものです。この4か所のプリルップは互いに向き合うように対称的に、(上から見ると)十字架の形に建てられています。

一番大きなヴァシメリクの上に中くらいのヴァシメリクが、その上に一番小さなヴァシメリクがあります。下部にあるプリルップは四か所ともすべて階段状の二段になった屋根を持ち、それぞれの段の側面にはボーチカとバラバン(柱状の台)に載ったキューポラが取り付けられています。8個のボーチカとキューポラのある(下から)三段目の列は下のヴァシメリクに取り付けられています。4個のボーチカとキューポラをつけた4段目の列は中くらいのヴァシメリクに取り付けられています。上部のヴァシメリクの上に中央の一番大きいキューポラがあります。最後のキューポラは祭壇のあるプリルップに取り付けられていて、他のキューポラより低い位置にあります。

キューポラの大きさはそれぞれの列によって違いますが、対称的な造りは高いピラミッドのような形になりどの方向から見ても同じように見えるのです。先の尖った曲線のある屋根の上に整然と立つバラバンや十字架のついたキューポラの形が教会の外観をより印象的なものにしています。キューポラやバラバンやボーチカは銀のような光沢のあるヤマナラシの薄板で覆われていて白夜の時期にはまるで銀色に輝いているようです。日が沈む時には教会は茜色に染まって燃えるようです。教会の張り出した入口は荘厳で華やかですが、ひさしは低く、建物の内部は天井が高くなっています。
 
もしプレオブラジェンスキー教会が夏用だとしたら、1764年にそのそばに建てられたポクロフスキー教会は冬用です。この教会は10個のキューポラを載せ、定番のチェトベリク(四角形の建物)の上にヴァシメリクを載せた形です。平面図を見ると この建物は片側の短い辺の両端にある角の部分が切り落とされた長方形をしています。(つまり六角形になっています。)小さいキューポラを載せた8個の小さなヴァシメリクは大きなヴァシメリクの上に角に沿って立てられていて、9番目の、一番大きなキューポラは中央にあります。10番目のキューポラは建物の祭壇のある部分の屋根に載っています。9個のキューポラが並んでいる様子はまるですかし模様のある優美な王冠のように見えます。

 教会の構造様式はちょっと変わっています。どっしりとした丸太造りのヴァシメリクは下方のチェトヴェリクよりもかなり広いので、チェトヴェリクの側面は上に行くにつれて幅が広くなっています。ヴァシメリク自身も上部が広くなっています。ヴァシメリクの上部にはジグザグの形をした帯状のひさしがあり、それはヴァシメリクを装飾するだけでなく、水を壁から脇へそらせるためのものです。屋根は薄板で仕上げられ、バラバンとキューポラは、ヤマナラシの木の薄い板によって覆われています。このような教会によくあったチャブロ式のイコノスタス(より古いタイプのイコノスタス。チャブロという特別な板にイコンがはめ込まれているもの)は残っていませんでしたので、20世紀の初めにはかわりにバロック様式のイコノスタスが置かれていました。1950年代に修復が行われた時にチャブロ式イコノスタスが復元されました。
(注:イコノスタスとは祭壇のある至聖所と信者が祈る場所とを分けるイコンをはめ込んだ仕切り)
 
 1874年に二つの教会の間に背の高いピラミッド状の鐘楼が建てられました。それはこの場所に立っていた老朽化した古い鐘楼を取り替えたものでした。18世紀の版画によると、古い鐘楼は背の高い柱状の丸太造りのヴァシメリクを背の低いチェトヴェリクの上に立てたもので、鐘をつるす所と、キューポラのある高いピラミッド状の屋根がありました。建て替えられた鐘楼は同じ構造ですが、それはもう折衷主義的なスタイル(様々な様式がまじりあったスタイル)になっていて、以前に建てられていた鐘楼のような素朴で田舎風のものではありません。

 以前に教会の周りにあった城壁は現在は残っていません。教会と鐘楼の周りを囲んでいた石と大丸石の基礎の上に、1950年代に丸太の囲いが建設されました。そしてそのモデルとされたのはヴァドロジョルスキー・イリインスキー・パゴスト(東カレリア地方のヴァドロゼル湖にあるイリインスキー・パゴスト島)の唯一現存の囲いでした。

 連なった丘の稜線に沿ってくねくねと付いている道をたどればキジー・パゴストから島のどこへでも行くことが出来ます。稜線の頂から、ザオネガ半島とキジー群島の島々の絵に書いたようなパノラマが開けています。最も高い地点に立つとほとんど島全体が見渡せます。ここにはヴィゴボ村から持ってきたスパソ・ネルコトヴォルノエ礼拝堂(17−18世紀)が立っています。

 1951年にキジー島に博物館が作られました。最初は「野外」博物館の区域に、近くの島々からザオネガ地方の典型的な古い農家が何軒か移され、その後ザオネガ地方と南カレリア地方、さらに全カレリア地方から木造建築物が移築され展示されるようになりました。1960年にここにカレリア地方の木造建築物と民俗の文化財保護のための博物館ができました。1980年までに多くの木造の暮らしに使われた建物や教会の建物(大部分が19世紀から20世紀の初頭に建てられた教会、礼拝堂、農民の家、製粉所、納屋、乾燥小屋、鍛冶場、風呂場)がキジー島に移されました。その結果キジー島には建築学、民俗学の一大展示場ができ、島を訪れた人々はカレリア地方のあらゆる民衆と民族集団の伝統的文化を知ることができます。しかしキジー島以外から移築された木造建築は、(当然まわりの風景に合うように建てられたのに)、もともとの場所から「もぎ取られた」わけで、キジー島に展示しても見栄えがしないのです。それで(建物の移築はせず)、キジー島と隣り合わせの島々をそのまま展示することが決定されました。

 現在では、文化財保護のための博物館では“ザオネジヤ地方のロシア人”のコーナーが一番充実しています。そこには14世紀から18世紀の教会と礼拝堂のほかに、居住用と農業経営用の建物(19世紀の終わりから20世紀の始めまでの)、鍛冶場、水車小屋と風車小屋(全部で20)が展示されています。

 最も古い建物はオネガ湖の東岸にあった、ムロムスキー修道院(14世紀の終わり)から持ってきたラザロ礼拝堂です。これは側面を丸太で組んだ、あまり大きくない切妻の屋根の建物で真ん中に小さなキューポラを載せています。この建物はロシアに現存しているもっとも古い木造建築物です。