ピョートル・リャーギン リサイタル
三会場で無事に終わる  役員や会員の努力の賜物

 六月二十七日、枚方市のムーザ文化交流協会(主宰・大阪府連の片山さん)のサロンコンサートで始まった「ピョートル・リサーギン・バリトンリサイタル」は、同二十九日、名古屋市芸創センター、七月二日の長久手町文化の家・風のホールの演奏会で無事終了しました。

 今回は、我が県連の自主企画として、初めてモスクワからピョートル・リヤーギンさんを招聘するので、書類の書き方など本部に聞いて、年が明けるとすぐ申請書類をモスクワの日本大使館に送りました。しかし、書類を出すのが早すぎたことと、書式が違うということで、三月二十日過ぎに再度提出してくれということになりました。

 文化交流ということで「短期商用等」のビザを申請しましたが、「日本において報酬を受ける活動を行うことは認められない」ので、興行ビザということになり、外務省の外国人課からは契約書や全ての必要経費、詳しいスケジュール表公演のチラシなどの提出を、法務省の入国管理局からは、過去に日本ユーラシア協会が招聘した演奏家のリストを求められるなど、初めての者には大変な作業でした。

 名古屋芸創センターのリサイタルでは、三月二十一日のユーラシアフェスティバルで初てチラシを配り、四月からのチケット販売に備えました。四月六日の実委員会で「なぜリサイタルをやるのか、よく会員に訴えた」上で役員、会員にチケットを送り届けることになりました。

一定の成果を挙げた企画
 しかし、一カ月前の五月二十九日時点では、事務局入金数と未入金合わせて券売数は一〇二枚で、目標の三〇〇枚には二〇〇枚近くも足りないし、ビザもまだ下りないという状態で、実行委員会としては一番大変な時でした。おまけに、八ヶ岳のリサイタルの主催者が六月初めになって、交通事故に遭い、リサイタルは出来ないと連絡が入り、結局、八ヶ岳のリサイタルはキャンセルになりました。

 顔の見える交流、我々と何らかの縁のある人に喜んで出演してもらい、我々も力を入れてチケットを売ることが出来る企画ということで取り組みましたが、キリル・ロディンやイリーナ・ロミシェフスカヤの時と違い、有名な音楽家の推薦もなく、他人に自信を持って勧めることが出来ないという苦しい展開となりました。

 しかし、演奏会当日には、芸創センターに二五〇人を超す聴衆が聴きにきてくれました。これは、リャーギンさんの蛭のアンナ・メニショーヴァさんが五五枚のチケットを売ってくれたのを始め、役員、会員の努力の賜物でした。

 実は私は、先ず聴衆の入りはどうか、リャーギンさんの声量はどうか、会場の音響効果はどうか、心配していましたが、会場でアンコールを求める拍手を聞き、また、演奏会の後、チケットを買ってくれた友人から「ロシア民謡が好きで、久しぶりにいいコンサートだった」とお礼の電話を貰い、この企画も一定の成果を挙げたと一安心しました。

 枚方の「ロシアロマンスの夕べ」には、大阪府連の小野会長、梶間常任理事ら約五〇人が集まり、長久手町文化の家・風のホールには約一〇〇人の聴衆が集まり、ロシアのロマンスや民謡の生の演奏を身近で聴いて大好評でした。

 リャーギンさんも三種三様のリサイタルで日本の聴衆と接し、大いに満足の様子でした。(中森)

バリトン・リサイタルを聴いて
       素晴らしいテクニックに感服

 宇宙工学の専門家にして、プロはだしのバリトン歌手というビョートル・リャーギンさんが、一体どんな歌を聴かせてくれるのか、大変楽しみでした。ロシア人は、歌が大好きな国民で、嬉しいにつけ、悲しいにつけ歌を歌い、プロはだしのアマチュアも多いということですが、リャーギンさんは、その音楽歴から言って、プロに限りなく近いアマチュア、つまりセミ・プロと言えるでしょう。

 さて、一部のオペラは、やはりチャイコフスキーやリムスキー・コルサコフなど、ロシアの作曲家の作品が聴かせました。曲とロシア語がマッチングしている(当然ですが)ため、バリトンのボリュームある響きがよく生かされており、たいへん心地よいものでした。

 しかし、ロシア民謡やロシアロマンスをレパートリーにしている合唱団「ミール」 の立場からすれば、やはり二部のロマンスや民謡の方に、より興味がありました。オペラのアリアなどは、アマチュアの我々にはちょっと手が出ませんが、ロマンスや民謡、いわゆる「ピェースニャ」(歌曲、歌謡曲)は、私たちでも歌える身近なものだからです。

 ツルゲーネフの詩にアバザが作曲した「霧の朝」やシェミスキー作詩、ハリート作曲「菊」、あるいはロシアの歌の中で最も世界的にポピュラーな 「黒い瞳」などは、ロマンスの中の名曲でもあり、リャーギンさんの豊かな表現力がいかんなく発揮されていました。

 ロマンスや民謡は、楽譜通りに歌うオペラと逢い、歌い手自身が自由に(音域や音の長短、場合によっては歌詞の一部も変えて)歌えるので、その歌手の特徴がよく判ります。その意味でもリャーギンさんは、素晴らしいテクニックの持ち主で感服しました。

 アンコールでは、なんと六曲も歌ってくれました。後で聞いた話ですが、この日の聴衆が、大変マナーが良く、反応も素晴らしかったので、リャーギンさんはすっかり気を良くしてサービスこれ努めたということです。また「ダローガイ・ドリンナーユ」 (長い道)は、日本で森山良子が歌ってヒットした 「悲しき天使」の原曲ですが、ほとんどの聴衆は、それを知らないので「えっ、あれはロシアの歌だったのですか」と驚いていました。

 合唱団「ミール」団長
       河西和信